私が学び士なわけ
2010年03月18日
こんばんわ、とってぃ@学び士です。
前回のブログから、書くようになった↑のフレーズ。
もしかしたら気にしている方もいるかもしれません。
なので、今回のブログは「私が学び士と名乗るわけ」についてです。
実は私、勉強嫌いです。
学び士と名乗ってるくせに勉強嫌いって何だよ!!!お前はただの嘘つきなのか?
そんな声が聞こえてきそうです。。。
いやはや、お恥ずかしながら、学生時代から勉強なんて意味のないものだと思っていました。
ただテストでいい点取るため、受験で合格するための勉強、こんなもの何になるんだと。
実際今勉強していることなんて、社会に出たら使うことなんてないじゃないかと。
そう思っていたのです。
でも、きっと半分くらいは当たっています。
教師や医者などの専門職系の方は別ですが、学校で勉強したことを社会人となっても使わずにいる人はたくさんいるはずです。
では、上述した勉強って何なのでしょう。
それは、試験問題を解くための知識を学ぶことなのだと私は思っています。
もちろん、学校の授業すべてがそうとは言いきれません。
でも、多くがそうであるというのが私の見解です。
つまり、世間一般で言われている勉強は、「試験問題を解くための知識を学ぶこと」なのです。
親がよく、「勉強しなさい!」なんていう時の勉強もこれに当たります。
そういう意味での勉強(以降は①とします)を、私は嫌いだといっているのです。
ちなみに、私はこういった勉強が嫌いとは言っていますが、今の日本社会では必要なことです。
いい大学に入ったり、資格をとるためには、「試験問題を解くための知識を学ぶこと」は重要なのです。
私は、いい大学に入ったり、資格をとることがすべてだとは言いません。
しかし、学歴や資格で判断する人も今の社会には多いというのもまた事実です。
それが事実だというのも、いい学校に入るために学習塾に通っている子供が増えていることからもわかるのではないでしょうか。
さて、そんな勉強嫌いだといっている私は、なぜ学び士なのか。
それは、私が①の勉強とは異なる意味での勉強を知っているからです。
ここで、「学び」と言うものを定義しましょう。
学びとは、
目的を果たすための知識、スキルを身につけること
です。
この、目的を果たすための知識、スキルというのが重要です。
何かに使うから役立つし、意味があるのです。
もちろん①の勉強も、「学び」の一種です。
ただ、目的を果たしてしまうとその知識、スキルは急激に廃れていってしまいます。
①の勉強の目的は、「試験問題を解くため」でした。
テストが終った後、受験が終った後も皆さんは学んだことを覚えていましたか?
きっと忘れてしまっているでしょう。
試してみたいなら、センター試験問題を今解いてみてください。
きっと現役学生時代よりかは低い点数になるはずです。
もう一度言いますが、目的を果たしてしまった「学び」はすぐに廃れていきます。
しかし、その目的が次の目的へとつながる場合はどうでしょう。
次の目的を果たすためには、前の学びで得た知識も継続的に使っていかないといけません。
ですから、前の目的を果たすために得た知識は大きく廃れることなく、蓄積されていくわけです。
そして、たとえ他の目的を果たすためにその知識が必要となったとしても、再度その知識が使えます。
①の勉強は、単発的な学びでした。
単発的であると、次に使おうと思ってもすぐ使えません。
私は単発的ではなく、継続性のある学びが好きなのです。
継続性のある学びは自分をとても成長させてくれますから。
さて、はじめの問いに戻りましょう。
なぜ私が学び士なのか。
それは、私が、
継続性のある学びをするためのノウハウを持っているから
学び士なのです。
学び士であれば、世間で言われている勉強を継続性のある学びに変えることだって可能です。
でも、今日はここまでです。
これについては、いつかのブログで。
どうしても気になる方は、今週末にメールフォームを作成する予定ですので、そこからご連絡ください。
個別に対応させていただきます。
前回のブログから、書くようになった↑のフレーズ。
もしかしたら気にしている方もいるかもしれません。
なので、今回のブログは「私が学び士と名乗るわけ」についてです。
実は私、勉強嫌いです。
学び士と名乗ってるくせに勉強嫌いって何だよ!!!お前はただの嘘つきなのか?
そんな声が聞こえてきそうです。。。
いやはや、お恥ずかしながら、学生時代から勉強なんて意味のないものだと思っていました。
ただテストでいい点取るため、受験で合格するための勉強、こんなもの何になるんだと。
実際今勉強していることなんて、社会に出たら使うことなんてないじゃないかと。
そう思っていたのです。
でも、きっと半分くらいは当たっています。
教師や医者などの専門職系の方は別ですが、学校で勉強したことを社会人となっても使わずにいる人はたくさんいるはずです。
では、上述した勉強って何なのでしょう。
それは、試験問題を解くための知識を学ぶことなのだと私は思っています。
もちろん、学校の授業すべてがそうとは言いきれません。
でも、多くがそうであるというのが私の見解です。
つまり、世間一般で言われている勉強は、「試験問題を解くための知識を学ぶこと」なのです。
親がよく、「勉強しなさい!」なんていう時の勉強もこれに当たります。
そういう意味での勉強(以降は①とします)を、私は嫌いだといっているのです。
ちなみに、私はこういった勉強が嫌いとは言っていますが、今の日本社会では必要なことです。
いい大学に入ったり、資格をとるためには、「試験問題を解くための知識を学ぶこと」は重要なのです。
私は、いい大学に入ったり、資格をとることがすべてだとは言いません。
しかし、学歴や資格で判断する人も今の社会には多いというのもまた事実です。
それが事実だというのも、いい学校に入るために学習塾に通っている子供が増えていることからもわかるのではないでしょうか。
さて、そんな勉強嫌いだといっている私は、なぜ学び士なのか。
それは、私が①の勉強とは異なる意味での勉強を知っているからです。
ここで、「学び」と言うものを定義しましょう。
学びとは、
目的を果たすための知識、スキルを身につけること
です。
この、目的を果たすための知識、スキルというのが重要です。
何かに使うから役立つし、意味があるのです。
もちろん①の勉強も、「学び」の一種です。
ただ、目的を果たしてしまうとその知識、スキルは急激に廃れていってしまいます。
①の勉強の目的は、「試験問題を解くため」でした。
テストが終った後、受験が終った後も皆さんは学んだことを覚えていましたか?
きっと忘れてしまっているでしょう。
試してみたいなら、センター試験問題を今解いてみてください。
きっと現役学生時代よりかは低い点数になるはずです。
もう一度言いますが、目的を果たしてしまった「学び」はすぐに廃れていきます。
しかし、その目的が次の目的へとつながる場合はどうでしょう。
次の目的を果たすためには、前の学びで得た知識も継続的に使っていかないといけません。
ですから、前の目的を果たすために得た知識は大きく廃れることなく、蓄積されていくわけです。
そして、たとえ他の目的を果たすためにその知識が必要となったとしても、再度その知識が使えます。
①の勉強は、単発的な学びでした。
単発的であると、次に使おうと思ってもすぐ使えません。
私は単発的ではなく、継続性のある学びが好きなのです。
継続性のある学びは自分をとても成長させてくれますから。
さて、はじめの問いに戻りましょう。
なぜ私が学び士なのか。
それは、私が、
継続性のある学びをするためのノウハウを持っているから
学び士なのです。
学び士であれば、世間で言われている勉強を継続性のある学びに変えることだって可能です。
でも、今日はここまでです。
これについては、いつかのブログで。
どうしても気になる方は、今週末にメールフォームを作成する予定ですので、そこからご連絡ください。
個別に対応させていただきます。
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